こだわり

featureこだわり

なぜ今べっ甲なのか

01

日本の伝統工芸品

現存する最古のべっ甲細工は、今から約1400年前、小野妹子が聖徳太子の命をうけ、遺隋使として派遣された際に持ち帰った「螺鈿紫壇五弦琵琶」が、奈良県東大寺の正倉院宝物庫に保管されています。

今から約400年前の江戸時代、日本初の貿易港である長崎の出島に、ポルトガル人によって、その原料と優れた技術が伝えられ、また当時の時代風浴に合った女性のくし、かんざし、こうがい(日本初の髷につかう)等の頭飾品を中心に広く流行するようになりました。

長崎を中心にべっ甲細工は発展し、現在では東京、大阪、名古屋等でも、製作加工されはいますが、べっ甲細工の精緻さ、特殊加工技術においては、その歴史の長さからも“長崎のべっ甲細工”を中心に展開されています。

02

材料がない

甲羅の性質上、製品になるのは、海亀の中でも「玳瑁」(タイマイ)だけです。

生息地は東南アジア沿岸、東西インド諸島および南アメリカの各沿岸に生息しており、そのなかでもカリブ海沿岸では特に良質のものが採れます。

体長は大きいものでは、1メートル近くになり、その場合、甲の長さは85cmにもなりますが、製品化できる部分は非常に薄く、量的にはわずかです。

しかし今から約30年前の1992年7月、「ワシントン条約」によりべっ甲細工の原材料の輸出入が完全に禁止されました。

03

職人がいない

原材料の輸入禁止にともない、材料の高騰や業界の展望に不安を持った職人は弟子への、技術の後継を行わくなりました。

べっ甲職人の平均年齢も65歳を超え、高齢による廃業も年々増加しています。

04

製品の価格高騰

「ワシントン条約」により輸入禁止になる直前、当時の職人やメーカーは財産を全て原材料に変えました。

しかし、それから20年を過ぎた現在、残り少なくなった原材料の価格は年々高騰し、さらにべっ甲細工を専門に扱う小売店、メーカー、職人の廃業が相次ぐことでべっ甲製品の価格は高騰をし続けています。

05

あと5年

現在、宮古島では玳瑁(タイマイ)の養殖事業への研究が重ねられています。

しかし、玳瑁が成長するまでに数十年を必要とすることや、設備、研究にかかる費用が莫大なものになることから、実用化に至るまでにはかなりの年月を必要とすると言われています。

06

希少価値

上記のような理由から、今やべっ甲細工は「日本で最初になくなる伝統工芸品」と、言われています。

現在お持ちのべっ甲細工は、将来「幻の工芸品」として、その価値は何十倍にもなり、代々そのお家の家宝として大切にされる作品になるのは間違いありません。